CoCoDeの建物について

旭川市市民活動交流センター CoCoDeの建物は、明治32年に旧国鉄の工場として建設され、事務所棟は鍛冶工場として、ホール棟は旋盤工場として使われていました。設計には明治期を代表する土木技術者 田邊朔朗が携わったとされています。

右奥の木の横にあるのが、CoCoDeの建物のようです。

田邊朔朗 は、明治29年7月に北海道鉄道施設部技師として北海道官設鉄道線の第1期予定線を選定し、翌年から上川線、天塩線、十勝線、釧路線の測量から建設工事までを担当しました。琵琶湖疏水を計画し、日本初の水力発電所の建設にも携わりました。狩勝峠の名付け親でもあります。

旭川市市民活動交流センター CoCoDeの建物は、 煉瓦造りが特徴で煉瓦はフランス積で壁の厚さは460~470mmで二枚積みとなっています。

昭和60年に旭川車両センターが廃止され、平成元年から車両センター施設は解体されていきましたが、市民運動の声もあって、この2棟だけが残されました。

現存する旧国鉄工場施設としては最も古い施設の一つとなっています。

平成15年~17年まで市民活動交流センターおよび、歴史的建造物の保存活用に関しての検討会議があり17年9月に市民活動交流センターとして整備することを決定し、平成20年から設計が始まり平成22年3月に竣工しました。

敷地面積は8,397.54㎡ 約2,545坪、市民活動棟は約650㎡ 約197坪となって、ホールは771㎡  約234坪ほどあります。

この周辺一帯は国の合同庁舎や市の関連施設がありますのでシビックコア地区と呼ばれています。